圧倒的に時間が足りない | 2014.04.10 02:07 |
元気にやっております。
前にもちょっと書いた通り、忙しさ(予定の山)のピークは過ぎました。
ある程度余裕を持って行動できるようになっています。
っと言っても、「日時や場所が指定されるような予定が減った」という
だけで、決して「暇になった」という意味ではありません。
学校の課題に代表されるような、特定の日時までに処理しなければいけ
ないことも相変わらず山ほどあり、のんびりゲームをして遊んでいるよ
うな余裕はありません。
良いことなのか悪い癖なのか分かりませんが、最近気が付いたことが
あります。自分が処理できる仕事量に対して、常にわずかに超える
「+α」の仕事が与えられている(与えている)ということです。
日時と場所で拘束される予定が増えた多忙期と、それほど予定がない
閑散期で、目の前に積まれている仕事の量が明らかに違います。
予定が減ってこなせる仕事の量が増えると、こなさなければいけない
仕事も増え、逆に予定が増えると、目の前の仕事も減っていきます。
多忙期はとにかく時間がないことを理由に、必要最低限の仕事(メール
チェックのみとか)しか処理しなくなります。一方でピークが過ぎて
閑散期に入ると「コレをしなければいけない」「アレもやっておこう」
「あぁ忘れてた、コレも・・」っという風に、次々と仕事が増えていき
ます。
再度多忙期になると、諦めたり忘れたりして目の前の仕事が減ります。
予定が減ると仕事が増え、予定が増えると仕事が減るという反比例関係
になっており、何時まで経っても暇になることがありません。
良く言えば「仕事に優先順位を付けて取り組んでいる」という意味です
が、結局は「時間ねえぇ」っという状態が続くわけです。
その仕事というのは、学校の課題という典型例だったり、他人のため
のボランティアだったり、プログラミングなどの自主勉強だったりする
のですが。
どちらにせよ、体を酷使する現状が、良い状態のわけがありません。
そろそろ、優先付けて効率よく物事を進めるやり方を研究して、実践
した方が良いのかもしれません。
加えて、休暇というか、予定も仕事もこなさない日を定期的に用意する
べきですね。
前にもちょっと書いた通り、忙しさ(予定の山)のピークは過ぎました。
ある程度余裕を持って行動できるようになっています。
っと言っても、「日時や場所が指定されるような予定が減った」という
だけで、決して「暇になった」という意味ではありません。
学校の課題に代表されるような、特定の日時までに処理しなければいけ
ないことも相変わらず山ほどあり、のんびりゲームをして遊んでいるよ
うな余裕はありません。
良いことなのか悪い癖なのか分かりませんが、最近気が付いたことが
あります。自分が処理できる仕事量に対して、常にわずかに超える
「+α」の仕事が与えられている(与えている)ということです。
日時と場所で拘束される予定が増えた多忙期と、それほど予定がない
閑散期で、目の前に積まれている仕事の量が明らかに違います。
予定が減ってこなせる仕事の量が増えると、こなさなければいけない
仕事も増え、逆に予定が増えると、目の前の仕事も減っていきます。
多忙期はとにかく時間がないことを理由に、必要最低限の仕事(メール
チェックのみとか)しか処理しなくなります。一方でピークが過ぎて
閑散期に入ると「コレをしなければいけない」「アレもやっておこう」
「あぁ忘れてた、コレも・・」っという風に、次々と仕事が増えていき
ます。
再度多忙期になると、諦めたり忘れたりして目の前の仕事が減ります。
予定が減ると仕事が増え、予定が増えると仕事が減るという反比例関係
になっており、何時まで経っても暇になることがありません。
良く言えば「仕事に優先順位を付けて取り組んでいる」という意味です
が、結局は「時間ねえぇ」っという状態が続くわけです。
その仕事というのは、学校の課題という典型例だったり、他人のため
のボランティアだったり、プログラミングなどの自主勉強だったりする
のですが。
どちらにせよ、体を酷使する現状が、良い状態のわけがありません。
そろそろ、優先付けて効率よく物事を進めるやり方を研究して、実践
した方が良いのかもしれません。
加えて、休暇というか、予定も仕事もこなさない日を定期的に用意する
べきですね。
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